【注意】
サンプル内は、ルビや傍点等一部未反映です。
下のネタバレ、もしくは作中であった描写・設定を前提としている部分があります。
メインストーリー(全て)
豊かの街 スポットサブエピソード スポットの思い出(1)
きっと、君と奇跡を
天空の宴に春を招いて
本作はミステリです。それ故、世の大抵のミステリにあるような流血その他の表現を含みます。
どんな衝撃の出来事が起こっていても、自力で飲み込める方のみお読みください。
読者様間において、若干フェアでない部分がございます。ご了承ください。
闇から出てて闇に落つ
虚ろな意識の中で瞼を開き、始めに思ったことは “暗い ”ということだった。
ぼんやりとした視界で状況を探れば、此処がオズの部屋で、自身は今まで、オズのベッドに寝ていたのだと認識できた。
認識は出来たが、何故オズの部屋で寝ているのかが思い出せない。自分は何をしていたのだったか。
「起きたか」
頭上から降ってきた声に視線を向ければ、部屋の主たるオズがいた。暖炉の火に照らされる顔は、何故か若干、優しさが滲んでいるように見えた。
「オズ…………。なんで俺、此処にいるんだっけ」
間抜けだなと思いながら、かと言ってこのままでいてもどうしようもなく、そう問いかける。
「そうなるくらいなら、昨夜のようなこと、やめておけばよかったものを」
昨夜のようなこと。
どうやら何かやらかしたみたいだが、悲しいことに覚えていない。
「……今、何時?」
「午後の二時だ」
どうやら知らぬ間に一夜明けて、大分遅くまで寝ていたらしい。
記憶を辿ろうにも、まだ思考は水の中のようにぼんやりとしていて、昨日の昼より後のことを引っ張りあげるには、時間がかかりそうだ。
部屋の中で、何が起きていたかを示すようなものはないかと、徐に身を起こす。それだけの動作でも、身体が軋むように痛くて、重かった。
机の上には、開けられたワインボトルが一本と、二つのワイングラス。グラスの片方は空で、片方にはまだ少しワインが残っている。ボトルの方も、半分程度は残っているように見える。
机の前の椅子には、俺の白衣が乱雑に掛けられていた。ベッドの下には靴が放り出されていて、服装を改めてみれば、オズと同じように普段の服のまま。若干乱れているのは、寝ていたが故か、そうでないのかは区別がつかない。
「……俺、何かやらかした?」
そこまでの情報は得たものの、結局それらでは、はっきりとしたことは分からなくて、問いを投げかける。
悲しい話だが、正直今は自分の記憶より、他人の記憶の方が信頼出来る。
「……思い出させてやっても良いが」
そう言いながらこちらへやって来たオズの顔が、間近にある。かと思えばすぐに、伸ばされた手によってベッドへと押し倒された。
掴まれた手首から熱が伝わって、自身へと滲んでいく。
──え、何が起きているんだ、これ。
まさか、そういうことをしていたとでも?
最近は多少、以前のような関係へと戻っていたとはいえ。オズと身体を重ねるだなんてことは、四百年くらいはした覚えがないのだが。
絡んだ視線の先で、オズの瞳が鈍く光る。
それに魅入られたように動けず、どうにか自由に動かせる口で、言葉を発する。
「お、オズ……?」
「……いや、やはりいい」
見定めるような視線は、しかしすぐに背けられ、オズ自身もベッドから離れていく。
オズの体温を感じていた手首は、再度外気に触れて、心做しか冷たさを覚える。
──え、何がしたかったの? 彼奴。
そう疑問に思いながらも、解放された身体を再び起こす。仮に何があったにせよ、これ以上この場に長居する必要はないだろう。居続けるのが嫌というわけではないが、誰かにこの状況を見られたとしても、俺はまともに答えられない。適当に答えたところで、それの真偽が分からない。
なんてことを考えながら、立ち上がって衣服の乱れを直していると、机の上にあった紙片に目が留まった。
「何、これ?」
オズにそう問うと、ああ、と言葉を漏らしながら教えてくれた。
「レストランの招待チケットだ」
「レストラン?」
「双子が押し付けてきた。お前と二人で行ってこいと」
「…………いつ、何処で?」
「お前が寝ている間に、この部屋に来た」
それはつまり、俺がこの部屋にいたことは、お二人には知られているということで。後で色々言われそうな気配を感じてげんなりして、どうせ避けようがないことだと、一旦思考から外すことにした。
代わりに、オズが答えを知っているだろう、他の疑問をぶつける。
「何のために? それに、どうして俺たちに?」
「本当は双子が行こうとしていたらしいが、期限内で都合がつかなくなったから、代わりに行けと」
「ええ…………」
「頑張っている弟子たちへの褒美だ、たまにはゆっくりしてこい……とも言っていた」
「そう言われて、素直に受け取ったの?」
「分かっているだろう。跳ね返したところで、無理矢理押し付けられた」
絶対に何かある。なきゃおかしい。
それか或いは、俺たちの現状の関係を分かって、余計なことをしようとしているのではないか? もしくは、揶揄っているのではないか?
そう思いながら改めてチケットを、そこに書かれた文字を見て、あることに気づいた。
「……これもしかして、雛鳥のレストランじゃないか?」
「そうだ」
「そうだ、じゃないよ。え、何、お前どういう場所か分かっているの?」
「西の魔法使いから、聞いたことがある」
「分かっていて受け取ったの?」
「言っただろう。押し付けられたと」
雛鳥レストラン。
西の国の、豊かの街にあるレストランだ。俺自身も、実際に行ったことはないが、西の魔法使いから話を聞いたことはあった。
店の名は別であるが、その通称でも親しまれており、通称の意味は、店独自の食事の作法に由来する。
ペアでしか入れないその店は、まず入店すると、客は親鳥役と雛鳥役に分かれる。雛鳥役は魔法で視力と握力を奪われ、言葉は雛鳥が鳴くように、「ピーピー」としか声が出せなくなる。
店には決まったメニューがなく、並んだ食材の中から、親鳥が雛鳥好みのメニューをオーダーし、出てきた食事は、親鳥役が雛鳥役の口に運ぶきまりだ。
舌と喉だけで美味を味わい、言葉に頼らずパートナーと絆を深める。そういった趣向の店、らしいが…………。
「行けってこと? 俺とお前で?」
「そう双子に言われた」
「ええ…………」
何をさせたいんだ、あの人たちは。
だが双子先生が絡んでいる以上、拒否は出来ないに等しい。拒否した場合の、その後を想像すれば、大人しく行っていた方が良いだろう。
ただ。
「嫌なのか」
「嫌とは…………いや……でも、お二人のお願いを拒否したら後が怖いし」
「なら何が不満だ」
「逆に何で、お前はそんなに乗り気なんだよ」
「……お前とゆっくりと過ごす時間が、最近は少なかった」
そう、何の衒いもなく言ってくるものだから、何だかこちらが恥ずかしくなる。
何? そんなこと考えていたの?
そう思うと同時に、だがまあ、言われていることにも、自覚はある。
あるのだが。
「いつ行くの?」
「可能ならばすぐだ。互いに任務もなく、そもそも期限が近い。少し遅い昼食、もしくは早めの夕食になるが、この時間ならば、私の魔法で行って戻ってくることもできるだろう」
「……俺、最近あんまり食欲がないんだけど」
一番の理由を言った瞬間、分かってはいたが、ギロリと強い視線を向けられる。
「ならば余計に、これをきちんと栄養を取る機会とすべきだ」
口が上手くなったな。全く、誰に似たんたが。
何であれ、日取りも含めて、拒否は出来ないようで。後は自分が折れる他なかった。
「……分かったよ。でも、無理に食わせるなよ。今の理由で行くなら、どうせお前が親鳥やるんだろ」
まあ正直、食べる量さえ制御出来るのなら、自分としても雛鳥役の方がありがたいのだが。
「……ああ」
「……すぐなんでしょ。じゃあ、俺着替えてくるから──」
「必要ない」
「あるだろ、普段から着ているものとはいえ、皺も酷いし」
「双子が用意していっている」
そう言って、不服そうな顔をしながら、隅に置かれた、畳まれた衣類を指差す。
全く気付かなかった。何であるんだよ、そんな物。
だが様子を見るに、そこまでお膳立てされることが、オズも不本意ではあるのだろう。
同時に、これはこのまま部屋から出たら、もし対面したらそれだけで小言を言われるな、とも理解した。まあ、双子先生に限らず、途中で誰かに捕まって面倒な説明をするよりかは、オズの部屋から魔法で直行した方が気楽だろう、とも思う。
なので結局、そのままお互いに、オズの部屋で身支度を整えた。
大分ゆったりと着替えていたのは、寝起きということで見逃してくれないかな、と考えた。
──オズと一緒に食事、か。
高揚する反面、気を落とす自分がいる。
上手くいくと良いんだけれど。
そんなことを考えながら、身支度を終えた。オズはとっくに着替えて終えているように見えた。
「俺は準備出来たよ、お前は?」
「問題ない」
「そう。なら、さっさと行って帰ってこようか」
オズの横に立ち、転移をするよう促した。避けようがないのなら、さっさと行って終えるべきだ。
「ああ……。《ヴォクスノク》」
だが。
オズが行使したのは、転移魔法ではなかった。
「えっ…………ピー」
唐突に辺りに闇が降りて、驚きの声はか細い鳴き声となって口から漏れていく。
雛鳥レストランでかけられる魔法だ、そうすぐに理解した。
いや、なんでオズがやった? 店で店員とかがすることだろこれ。大体まだ、魔法舎すら出ていないよね?
そんな文句が口をつくが、耳に届くのは鳥の鳴き声で、そんな意味は露すら残っていない。
しかし、流石にこの状況で言われることを察しているのか、オズは鳴き声に溶けた俺の疑問に返答をしてきた。
「お前や私のような強い者では、魔法の効きが悪かったり、跳ね返してしまったりする場合も有り得るだろう。これはその予防線だ。着いてからすると、西の民を驚かせて、余計な騒ぎになる」
まだ慣れない闇の中で、返答をどうにか咀嚼する。
言いたいことは分かるけど、え、何。
何で、先に言わなかったんだ? 断られるとでも思ったのか?
そんなに真面目に親鳥役したいの? 此奴?
それはつまり、俺にここまでしてそうしたいってことで……。
いや、いや。それより、こんな状態で行ったら行ったで、騒ぎにならないのか? それとも何? 元々盲という体で行くつもりなのか?
思考は濁流の如く、数多浮かんでは溢れていく。
しかしどうであれ、今の俺にはこの状況を打開する術などない。オズの魔法によるものなのだ、本来のそれより、余計に解けるわけがない。
飲み込む他に、ない。
そう思った直後。視界が闇に囚われたことで、段々と平衡感覚が鈍ってきていたのか、身体がぐらりと揺れた。
ある程度の物の場所を把握していようが、握力がないのでは、手を伸ばしたところで支えの意味をなさない。どうにか自力で体勢を整え直そうとした。
ああ、だからきっと、レストランでは座ってから魔法をかけられるんだろうな。
なんてことを能天気に思っている間に、その身を抱きとめられる。オズがしてくれたのかな、と思うより先に、そのまま腕を回されて強く抱きしめられるものだから、まるで理解が追いつかなかった。
──ねえ、何なの?
だから、最近はそんなじゃなかっただろ?
抱き返すことも出来ぬまま、残った感覚だけが敏感に状況を拾う。
再び体温が上げられて、近くで彼奴の魔力が、息遣いが────────
…………え?
「──行くぞ」
その言葉と同時に身体は離れて、代わりに片手を取られる。
かと思えば、次の瞬間にはオズの呪文が、己の耳に届く。
転移魔法を使っているのだろう。まあ、仮にオズと一緒だとしても、この状態で箒に乗るのは無理があるのだが。
その身を変わらず委ねながら、別のことも考える。
──なあ、オズ。
すまない……って、どういう意味だ?
暗く濁った衝撃
風が巻き起こって、辺りの空気が変わる。
恐らく一瞬でレストランへ着いたのだろうけど、建物の外観を確認することは愚か、闇の中は一人で歩けない。
魔法で探知できないこともないのかもしれないが、わざわざ今の段階でこうしている理由を考えると、それはすべきことではないだろう。
握られた手を離さぬよう握り返したくても、それすら出来ない。自身から干渉出来ない世界というのは、いとも簡単に己を置いていく。
握れない手の指が、震えているのを自覚した。
それが伝わっていたのか、何も言わずに、オズはその手を強く握り直す。
「不安か」
そう問いかけてくる声が、少し笑っているような気がして、何を言わずに首を小さく横に振った。まあ、元よりまともな返答など出来ないのだが。
そんな俺をどう受け取ったのかは分からないが、オズはそのまま手を引いて、歩みを進めた。
暫く歩いて、カラカラと鈴がなる音で、店に入ったのだと分かる。
俺の様子に不思議に思ったのだろう。予測は出来たが、出てきた店員に質問されている。
「……失礼ですが、そちらのお客様は……」
「強情な者故に、先に魔法をかけておいた」
そのまんま言うのかよ、というか強情ってなんだ。それはお前の方だろう。
とはいえ、ここは西の国。特にそれ以上訝しがられるわけでもなく、チケットを確認してもらっただろう後は、すんなりと席へ通され、座らされた。
恐らく食材を見て、メニューを決めてくるのだろう。オズが店員に案内されて、声と気配が遠のいていく。
故に一人、静かに待たされる。
西の国らしい、明るくも優雅な音楽ばかりがよく聞こえて、他人の会話は聞こえない。
単に今日は人が少ないのか、それともパートナーとの時間を楽しむために、他の客を気にしないで済むような造りになっているのかは、今の自分には判別がつかない。個人的には双方、もしくは後者であるとありがたいが、どうだか。
どれくらいかして、注文を終えたのだろうオズが戻ってくる。
何注文したんだろうな、此奴。そもそも、俺の好みをちゃんと把握しているかすら怪しいのだけれど。
なんてことを思ったところで、向かいに座るオズは何も話してこない。
何も…………。
…………………………………………。
……いや、何か喋れよ、或いは何かしろよ。
オズが元よりあまり喋らない、というのは分かっているにせよ、このコンセプトの店でこんなに黙って待つことってあるのか? 俺からは喋れない、何も出来ないに等しいのに?
分からない。そもそも、こんな風に思っている俺を楽しんでいる可能性すら捨て切れない。焦らして耐えかねるのを待つとか、そんな意地の悪いことをする可能性が──ないとは言い切れない。あの師匠で育ったんだから。
とにかく。ただ二人、黙って待つ時間が延々と続いた。オズが目の前に座っていることは気配で分かっていたが、そのままいつまでも、黙ったままだった。悲しいことに。
いや、悲しいことだったのかは分からない。俺としては、何もせず座っていられるのは、ありがたいことだった。
そして。
そんな状況故に、視覚以外の感覚が、敏感に周りの状況を拾い上げた。
音の情報だけで全てを察することは出来ないし、したくもなかった。敏感になった分、それにはノイズも多いと分かっていた。
それでも、ノイズで片付けられないようなものも、中にはある。
どれくらい経った後だったろうか。時間なんてものも確認が出来ないから、全て感覚に任せたものでしかなかったわけだが。
ふと、流れる音楽の中に、それを聞き取った。
ミシリと、何かが悲鳴をあげる音がする。
恐らくは、壁や柱といった、建物自体が。
それを理解した途端、直後に数多の音が、濁流のように響き渡る。
カタカタと、何か、様々な物が揺れる音。
頭上でジャラジャラとなる音は、きっとシャンデリアが揺れている故だろう。
これもまた音楽です、そう思えるようなものではなかった。
何が起こっている?
音が始まってからそう思うまで、恐らくは数秒。揺れはテーブルや椅子にも伝播していき、身体の感覚へも訴えてきた。
地震か?
それにしては、どれも規則性がなく、まばらに感じる。
──なあ、オズ。
何が起こっているんだ? お前は今何をしているんだ?
気配はそこにあるのに、動いたり、言葉を発したり様子は感じない。
俺の得ている情報は、あまりにも偏っていて、俺一人の認識頼みで。正直信用できない。
オズが何も動かないのなら、気にする程のことでもないのか?
問いかけたくても、そう考えてしまう心もあるが故に、聞こえるかも分からない小さい音しか、口からは漏れていかない。
俺が、おかしいのか?
ああ、きっとそうだろうな。
その方が、納得がいく。
──そう思った次の瞬間、何かに押されたように、ぐらりと身体が傾いた。
暗闇では何も分からず、本来テーブルがあっただろう方へ手伸ばしたところで、今の自分に掴めるわけでもなく。
魔法を解いても良かったのかもしれないけれど、ただでさえこんな状況なのに、俺に解けるわけがないと打ち消して。
つまりは、その身のままに、重力に導かれて、落下していく。
──ずっとそうではあったが、あるものが遮断されている時というのは、他はその分鋭利に、敏感になるもので。
「《ヴォクスノク》」
身体が床に崩れる直前。オズが呪文を発する声をハッキリと聞き取り、オズの魔力を感じた。
──ああ、これが始まってからやっと、声が聞けた。
少しの安堵を感じるが、別にオズのそれで、何が変わったという実感もなく。
そのまま床に打ちつけられた身体は、正常に痛みを感じた。
思わず漏れ出た声は瀕死の鳥みたいで、我ながら滑稽だなと、他人事のように思った。
──俺を助けてくれたのかと思ったのに、何したんだよ、彼奴。
そんなことを考えて、そんな期待をした自分を、心の中で嘲笑する。
受け身を取り損ねて──そもそも取れるわけがないのだが──それを抜きにしても、何かの角に頭もぶつけたらしい。痛みで思考が纏まらない。
あーあ、何やっているんだろ、俺。
せめて他の客に、知り合いがいなければ良いけれど。
そして、その後少しして、再び聞こえる、音。
バチリと何かが弾ける音。
そして、何かがどさりと落ちるような、そんな音。
他の客だろうか、店の者だろうか。遠くで幾重にも聞こえる足音と、声。
鼻をつく血の匂いは、己のものだろうか。
ああ、よく分からないけど、多分大事になっちゃったなあ……。
なんてことを思いながら、呼吸だけでも整えようと、息をした。
そうして、どのくらい経っただろうか。
痛みというのは感覚を鈍らせるもので、そして闇の中なのも相俟って。とてつもなく長い時間が過ぎたように感じたが、実際はそうではないのかもしれない。
しかし、それでも確実に、その時、空白の時間はあった。
俺が、オズ含めて、誰に触れられるでもなく放置された時間が。
意味が分からなかった。
オズはともかく、他の人まで、放置するなんてことがあるのか?
酔っ払いが寝ているんだと思われているんじゃ、嫌だな。
でも、座っているよりも寝ている方が、楽だよね。
取り繕わなくて良いんだから。
なら、なるようになってくれ。
そんなことを考えて、すぐに思考は頭痛に攫われる。
握力や視力のことなんて関係なく、自ら起き上がることは放棄した。
やっぱり体感時間はアテにならないのだけど、どれくらいかして、漸く自身に触れる誰かがいる。
それがオズなのは、魔力で理解出来た。
両腕で抱き起こされることを理解して、ああ、意識飛ばしている方が良かったかもな、なんて思うだけの頭は、残念ながら残っていた。
「フィガロ」
そう声を掛けられたと同時に、視界が開けた。
漸く聞けた声と、戻った視界で初めに捉えたオズの姿に安堵した。
──これじゃあ、本当に雛鳥の刷り込みみたいだな。
そう思うと同時に、眩しさで目を細めた。
オズは建物を背にして、左から陽の光を浴びて立っていた。つまりはそれが、自分には真正面から差す光になるものだから、とてつもなく眩しい。
早めの夕食を取りに来ていたのだから、夕日なのだろうけど。暗闇に慣れきった目だと、夕日もこんなに眩しいのか。
オズの背後にある建物がレストランなのだろうということは、言われずとも察せた。豊かの街らしい、綺麗で小洒落た造りだった。こんな外観だったんだな。
なんていう風に、あまりにも一気に飛び込んでくる情報が多くて、視線を忙しなくうろつかせていると、オズの顔が近づいてくる。
その顔が渋いような、安堵を浮かべているような、くしゃくしゃの顔だったから、なんだかおかしく思えて、知らずのうちに笑みが漏れた。
同時にそれで、急速に気が抜けて、堪えていた意識が鉛みたいに沈んで、瞼が重くなる。
「私は此処にいる。今は休め」
そんな言葉を聞いて、自分でもおかしいくらいに、それに安心したようにすぐに、意識を再び闇へと落とした。
オズの腕の中で感じる彼奴の気配が、酷く久し振りに感じた。
再び、闇から出でて
「……………………あ、れ」
水底を揺らめいていたかのように、意識がゆっくりと首を起こす。
瞼を開けた先には、見慣れた、魔法舎の自室の天井が広がっている。視線を動かせば、明るい外の光が窓から零れている。
いつから眠っていたのだろう。
記憶に残る最後は夕方の筈だが、その様子を見るに、日の位置は既に高そうだ。また知らぬ間に、夜を越えていたのだろうか。
状況を確認するためにと、重い身を起こしてみて、寝巻きに着替えさせられていることに気づいた。
自身に魔法の痕跡はない辺りを見るに、魔法で着替えさせられてはいない。
──オズだろうか。
あの後夜になったのだろうということを考えれば、痕跡がない、魔法が使われていないのにも頷ける。
そういえば、出血していたのだったか。
そう思って身体を確認すると、頭に傷跡があることが確認できた。包帯があてがわれているわけでもないので、大きい傷ではないらしい。単純な治療だけして、残りは自然治癒に任せているのだろうか。完全に消してしまっても良いだろうに。
そんなことを思っている間に、ノックもなく部屋の扉が開いた。
視線を向ければ、そこには小さなバスケットを持ったオズがいた。
「起きていたのか」
「急に開けるなよ……。さっきね、これ、お前がやったの?」
「急も何も、寝ているかどうかなど、扉を開けなければ分からない。……不快だったか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。……手間をかけさせたなって」
心に燻る若干の恥じらいは、自身の意識からも外すことにした。
「気にすることではない」
オズはそう言いながら、バスケットを机に置いた。
切り分けられた果実が乗せられた器を自分の方へと渡しながら、その顔を近づけてくる。
「大丈夫か」
具合を確認するように、その問いは優しかった。
それ故に、その優しさに、チクリと胸が傷んで。話を逸らすように、それには答えず謝罪を返した。
「……ごめん」
息が届きそうな距離にある顔から視線を外して、呟く。
「何に対する謝罪だ」
「……俺の所為で、台無しにしちゃったよね」
折角の、二人での時間だったのに。
何があったにせよ、俺によるものであることには、変わりない。
「……お前の気にすることではない」
「そうは言ってもさ……。オズが気にしなくても、俺が、台無しにした自分を嫌だと思うんだよ。折角なら、ちゃんと楽しみたかった」
渡された器はヒヤリとしていて、その温度に巻き込まれるみたいに、心の温度が落ちていく。それなのに、思考はぼんやりと熱を帯びている。
カタカタと、小さく指が震えている。
弱った心は、身体は、飾ることを忘れる。
「楽しむ?」
「お前がどんなものを、どうやって食べさせてくれるのかな、とか。目と言葉なしに互いを感じるってのがコンセプトの店なんだろ」
「今この場で示しても良いが」
そう返してくるオズの手には、いつの間に作ったのか、シュガーがあった。
「いや、嬉しいけど……ムードってものがあるだろ。何お前、看病と同じようにやるつもりだったの?」
そう返すと、オズは暫く黙り込んで考えるような顔をする。本当にそのつもりだったのか、何も考えていなかったのか、どうだか。
そして、暫く経った後の返答は、それらを加味してなのか、そんなこと考えずにそれを考えていた故かは、よく分からなかった。
「お前が望むのならば、仕切り直して、再び向かおう」
「……え?」
唐突な提案に、少しばかり面食らって、幻聴じゃないかと疑った。
「嫌か」
「いや、え……良いの?」
勿論、提案自体は非常に嬉しいものだった。
もう一度、を与えてくれるだなんて、思ってもいなかったからだ。
「明日ならば予約も取れるだろう。今日は休め」
「……うん、ありがとう、オズ。でも今度は、初めから魔法かけて向かうなんてことはするなよ。…………不安になるんだ」
そんな素直な気持ちが、心から零れた。今の自分がどういう表情かは、考えないようにした。
返答の代わりに渡されたシュガーを口で転がす。優しい甘さが広がって、溶けていって、気分が落ち着いた。
ゆったりとした時間を、ぼんやりと享受する。
しかし、それと反対にクリアになっていく思考は、その時間を続けさせてはくれないらしい。
ふと、疑問が輪郭を成して、シュガーが溶けて口の中から消えてから、窓の外を眺めるオズに話しかける。
「なあ、オズ」
「なんだ」
「あの時、何があったの?」
「何、とは」
「椅子から落ちて倒れたんだろうな、とは思っているんだけどさ、お前に魔法を解いてもらうまでのことは、実際のところ何があったのか、よく分からないからさ」
「…………」
「こんな看病みたいなことをされているのと、頭の傷跡を考えるに、色々あったんだろうけど。音くらいしか有益な情報がないから、何があってこうなったのか、いまいち理解しきれていないんだよね」
「…………」
「で? 何があったわけ?」
俺の問い掛けに対してずっと黙ったままのオズに、若干の苛立ちを覚えながら、問い質す。
仮に全て自分に非があったのだとしても、知らないのなら、今以上の謝罪のしようもない。
「………………」
「黙っていないで何か言えよ」
そう言ってオズの方を見ても、何かを言う様子はない。口を噤んだままだ。
──その様子を見て察する。
今のオズは、どう言葉にすべきかを迷い、考えているのではない。
言いたくないことがあるのだ。そう、長年の勘が告げている。
言いたくないのだとして、何を?
「……お前が気にすることではない」
ようやっと聞けた言葉がそれだったことで、確証へと変わった。
「するよ、どんな迷惑かけたか分からないんだから」
「そうやって気に病むだろう、それは余計な負荷をかける。身体にも、心にも」
真剣な顔で、そう言ってきた。
誰に言っているんだろう、と思うと同時に、そんなオズの気持ちを無下にしたくない、と心の隅で感じ始める。
言いたくないことがあるにしても、心配されているのも、また事実だろうからだ。
「……分かったよ、とりあえず、ちゃんと休むことにする」
そう言って、これ以上は無駄だと、余計な負荷になると、その場の話を終わらせた。
どうせ、明日には分かるのだ。
また同じ場所に行くのだから、物の記憶でも見ればきっと分かる。
無理矢理そう思うことで、心は落ち着かせた。
体調は、何も落ち着かなかった。
【続く】
